2006年09月05日

これがその瞬間(ヌスラットWOMAD1992横浜)

ここで何度か「WOMAD '92 横浜」におけるヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのことを書きました。その映像をご覧下さいませ。WOMAD '92 横浜、最終日フィナーレの模様です。曲はジミー・クリフの「You can get it if you really want」。

Womad '92 Yokohama - finale(1/2)

最後の出演だったサンディーのステージからの流れなので進行役もサンディーが務めています。サンディーからパパ・ウェンバをスタートに順々にマイクを回していきますが、ディ・ダナンの番になったときに突然ヌスラットが歌い始めます(2分過ぎ)。私たち観客は大喜びだったのですが、これは全く予定外のことだったようです。その証拠に、ヌスラットが歌い始めてからしばらくテレビカメラは彼の姿を捉えていません(笑)。ディ・ダナンも「ヌスラットならまあしょうがないか」といった感じでバトンを渡します。
なんでも、このフィナーレの直前までヌスラットとは楽屋で「一節うたってくれ」と交渉をしていたそうです。しかし「ステージには上がるが他の人と一緒には歌わん」と言われ、歌う予定がないままフィナーレが始まったのだとか。何がヌスラットをその気にさせたのでしょうか、場の雰囲気に「よーし乗ってやるか」となったんでしょうか。
(別の資料によれば、前日に交渉したときには断られた、しかし後から「フィナーレで歌う曲のテープを持ってきてくれ」と言って聴いていた、密かに準備していたのかも。だそうです)

とにかく、これでヌスラット様がステージの主役と化します。彼のおかげで出番が飛んでしまったアーティストも何人かいたかも知れません。どんと(ボ・ガンボス)や近田春夫(ビブラストーン)といった日本人の出演者もちょっと影が薄いです。あ、河内家菊水丸はヌスラットに張り合って(?)うなってみせていて、その敢闘精神に笑いと拍手が送られています。(ここに都はるみがいたらどうなっていたか…)

曲の中盤、サンディーが今度は確信を持って「One more time, please?」とヌスラットに振りますと、もうそこからは彼の独演会。やっとカメラも準備ができたのか、こんどはばっちりパフォーマンスを映しています。周りをアーティストが取り囲み、ヌスラットもノリノリでアドリブをかましています。独演会が終わるとサンディーは思わず平伏。私たち観客はこれを待っていたのです。いや、期待を遥かに超えるパフォーマンス。この宗教音楽家の、枠にはまらぬ底知れない深みを見せつけられました。

Womad '92 Yokohama - finale(2/2) - "Sayonara"

「来年もやろうね」というサンディーの言葉を最後に曲は終わり、総員ステージを退場していきます(曲はSandiiがうたう「Sayonara」)。しかしヌスラット達は最後まで残り、(本当はそこでうたう所じゃないんでしょうけれども)アンコールとばかりにもう一節歌って悠々ステージを去ります。ヌスラットが自分でマイクを持って、しかも立って歌う姿など滅多に見られるものではありません。もう感激で号泣ものです。

こうして夢のごとき15分間が終わったのでした。こうした奇跡の瞬間に立ち会うために、私たちはライブやコンサート、あるいはフェスティバルに足を運ぶのでしょう。

関連のエントリ

http://gyogyo.seesaa.net/article/3900609.html
都はるみで総立ち

http://gyogyo.seesaa.net/article/13980292.html
WOMAD '92 横浜 出演者リスト

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posted by gyogyo6 at 01:30 | Comment(5) | TrackBack(1) | よい音楽(松) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ずいぶんご無沙汰しています。
久しぶりにやってきて、凄いもの見せてもらいました。
伝説のやつですね!
ありがとうございました。

You Tube 恐るべし!
Posted by foodmusic at 2006年09月13日 02:02
どうもお久しぶりです。

まさに「YouTube恐るべし」! …って、アップしたのは私なんですけど(^^)。YouTubeの方でどなたかから "Blows my mind." なんてコメントがついたり、たくさん星(ratingの)をもらうのは嬉しいですね。
Posted by gyogyo6 at 2006年09月13日 18:10
ウォーマッド横浜を企画した指田です。
実際に行われた1991年は、私は異動していて、後任のK君が担当してくれましたが。

今でも、憶えている方がいるとすれば、あのフェスティバルを考えた者として感激です。

当時、横浜市役所の人間から「これは一体何だ!」と顰蹙を買ったのですが。

皆さんの心の中に、まだ残っているとすれば、企画者としてこれに優ものはありません。
どうも有難うございました。
Posted by 懐かしい、そして有難うございます at 2011年06月23日 06:46
コメントありがとうございます。指田さんのお名前は、WOMADの記事で何度かお見かけした記憶があります。今でも感謝の念でいっぱいです。

日本であのような素晴らしいフェスはもう二度と開催できないだろうとちょっと悲観的になってしまいますが、今もどこかで指田さんのような方が企画を練っていることを期待したいです。(指田さんももう一度どうですか?)
Posted by gyogyo6 at 2011年06月24日 19:32
未だにあれをすばらしいと記憶している方がいることを知って、本当に感激しています。
あれは、横浜市役所中では総スカンでしたが、感動してくれた人はいたのですね。

また、やると言うのは、予算の問題で、到底無理ですが、今はロックもジャズも、そして演歌も日本中のフェステイバルで同列に出ています。
それを作り出したのは、WOMAD横浜で、当初都はるみが出るのも、双方から心配で大変だったのです。
都サイドは、「演歌は帰れ!」と言われたらどうしようと心配で、ロックサイドからは、「なぜ演歌を出すんだ」と怒られれそうで、そのため中村とうようさんが舞台に出て、都さんを紹介する仕掛けを作りました。
Posted by さすらい日乗 at 2011年06月24日 20:12
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ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン
Excerpt: 昨日はサンディを聴き、その前はパパ・ウェンバを聴いていたところ、
Weblog: VIVA LA MUSICA
Tracked: 2006-09-16 00:03